油絵との接し方

長い間に油絵は神聖的な芸術だと見られました。
美術を学ぶ人は大体スケッチから学んで、長年の基礎があってから、油絵を描き始めます。

イキイキ油絵を描けることは堅実な基礎が必要ですから、スケッチの勉強も重要です。
たとえ油絵を描けても必ずしも有名になるわけではありません。
画家にとって有名になれないと人生は無駄に過ごされたでしょう。

しかし、近年に油絵は純粋な芸術より、ビジネス化になった傾向は強くなったようです。
一番よくあったのは家を飾り付けるときに応用された油絵でしょう。

今になっても家を飾り付ける時に一番多く利用されたのはまだ壁紙ですが、豪華にしたい人、しかもお金持ちの人は直接壁に油絵にするのでしょう。
宮殿のように見えます。

思えば独学で始めた油絵で、完全に自己満足の域を出ていないのですが、油絵とはなんぞやということを学芸員に薀蓄をたれたのは良い思い出と言いますか、黒歴史として心に秘めておきたいですね。
自慢話は小者に多いと言いますが、確かにそうだなあと思いました。

学術的な面での油絵を学んだことも無ければ、テクニックの基本も知らないかもしれない程度ですから、今後も地道に趣味として楽しむことにします。

チャンスがあれば教室を開いたり、講師を務めたりしたいのですが、多分、ボロが出るので止めておいた方が得策のような気もしますね。

パズル好きの母

私の母は、ジグソーパズルが好きだ。
はじめは300ピースくらいのから初めて、500ピース、1000ピース、10000ピースなんてのにまで手を出していた。
4隅のピースを見つけられずに、いつも断念している私から見れば神業としか言えないが、あの膨大なピースの山を見てもへこたれないのだからすごい。

パズルをする人はみなそうだと思うのだが、完成して出来る絵や写真は二の次で、とにかくピースを組み立てて完成させるという行為自体が重要なのである。
実に数学的、と思っているが、どうであろうか。
そんな母のパズルだが、500ピース、1000ピースくらいまでは良かった。
というのは、もちろん大きさの話である。
額を買って、壁にかけるにしても、ちょっと大き目の絵画くらいのサイズだったので、さして大きくもない庶民の家に飾るのにもまだ場所があったのだ。
けれどもさすがに10000ピースになってしまうととても飾るところがない。
テーブルまるまる一台使って作業するほどの大きさであるから、壁にしたら一面潰す覚悟である。
大体、パズルというものは仕上がったあと、のりを表面に刷いてピースをとめてから、額におさめるものである。
こののりというのが実にまた頼りない。
10000ピースともなるとなかなか重たいもので、時間がたつとのりが重力に負け、ピースが一つ二つ落ちてくる。
そうなったら最後、徐々に瓦解してくるのである。
それに、作業場所もひどく食うので、一度パズルを広げたら、完成するまでその部屋では他のことが一切できなくなるという難点がある。
ということが重なって、母のパズル製作はいつの間にか終息したのである。
そして、今ではもっぱら彼女の楽しみは、お絵かきパズルというものである。
一枚の紙にびっちり描かれたマス目を、指定された数字分黒く塗りつぶしていって最後に何の絵が浮かび上がってくるか、という場所はとらないが、一層数学的な良く分からないものだ。
とにかくパズルと名のつくものが好きな母を見ていると、根っからの文系の自分が母親似でないことだけは確かなのである。

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