芸術的センスがないばかりに
芸術的センスとは、いったいどういう感覚なのだろう。
絵心というものが備わってないので、いわゆるピカソの絵を見ても、何も思わない。
私でも書けるという感覚は、一般的なのかも知れないが、実は重症なのかもしれない。
思えば、学校の美術の授業も退屈だったし、世界の遺産など映像の美しさを特集した番組を見ても、感動は無かった。
もしかすると、精神面が豊かではないのかも。
こうした部分の感度と言うか感受性というか、鍛えるには多くの芸術作品を見るしかないのだろうか。
見たところで、作者の心情や見るべきところがわからなければ、意味が無いような気もする。
ここは学芸員に話を振ってみたり、個展を開いている主催者と親しくなるという方法も良さそうだ。
恐らく、芸術論など、話したくてたまらない人ばかりだろうか。
マニアックな分野には興味や関心はあるから、意外と食い付きが良いかもと思う自分がいる。
ただ、芸術マニアの話は聞かない事にする。
その人らは、知識量の自慢のために話をするからだ。
属性が似ているから良く理解出来る。
知識量こそがオタクのステータスであるから、これでもかと話題を放り込んでくるので、聞く方としては体力が要るし、何より、オタク耐性が無ければ付き合っていられない。
コレクターの社会貢献
さまざまなマニアやコレクターがいる。
いい歳をした大人がおもちゃ一つに1万円出すのに全く躊躇しないことがある。
としても信じられないが、欲しいから手に入れたいと思うのである。
モノ集めの習慣がない人には決して理解されない世界だ。
しかし良く考えて欲しいと思う。
家庭での消費や個人消費が不況で冷え込むばかりの今の時代に、消費を支えているのは、みなさんが時にはバカにしたり侮蔑したり冷たい視線を送っているマニアやコレクターの人たちであることを。
何とかお金を使ってもらうために、どうすればお金を使ってもらえるかと、供給する側は必死に頭を使って考えているのだ。
そしてうまいこと大きなヒット作品を出せれば、その需要が大きな経済効果を生む。
グッズを作る人も売ることを考える人も、私は凄いと思う。