女性が退職しないでよい社会にするには

私の友達で雇用者を雇う際に選考に加わる者がいる。
その者が言うには男女平等にしたくてもやはり結婚をする際に退職をしたり子供ができた時にまもなく退職しそうな女性よりも、男性を選んでしまう、と言っていた。

彼だけでなく、多くの企業にとって当然教育を与えて実践に慣れてきてようやく一人前になる時に突然辞められるのを避けたいというのは無理もないことであろう。

確かに分野によっては異なるだろうが、企業が女性を雇用する際に男性と同じ数にまで、というのは難しいかもしれない。
しかしもし企業側が少し雇用者を信頼し、こうした女性の理由や男性にも特別な理由がある際に家からインタ-ネットで働けるようにしてみてはどうだろうか、と私は思う。

女性を男性と平等にという概念を必死に叫んでも、女性向けの環境ではない職場はたくさんある。
例えば、高層ビルのとび職は、いくら男女平等を謳っても、いつまでも男性が活躍を独占している。
このように、平等ということは、有り得ない。

設計士の分野でも、女性が免許を取得しているが、独立して事務所を抱えている人は、どれほどになるだろうか。
男性のエステティシャンが存在しないとうこは、男女の平等については、どういう考えになるのか。
女性の社会進出は大いに結構だが、無暗に男女平等を叫ぶのは、権利主張の掛け声ばかりで終わっているものと思われる。

インターネット上のビジネスでは、男女の平等が限りなく実現しやすい場所なのではなかろうか。

夫婦の役割分担について

私が考えている夫婦の役割分担の起源と言うのは、昔歴史の授業で習った採集文化がはじまった縄文時代などにさかのぼる。
どういう分担方法かと言うと実に合理的だ。
生物学的に力の強い男性が、動物性たんぱく質を得るために狩猟に行く。
その間、力の弱い女性は、その不足分をおぎなう木の実や果実、野草などを取りに行く。

子供がいれば、子育てもする。
結果得た分は、みんな平等に分け与える。
どちらが偉いといかそういうのではなく、お互いがお互いの不足を補い合っていたのである。
それが結果、男が外に出て、女が家を守る、という構図に自然になったまでのことである。
今の世の中と、どちらが平等な社会だろうか。
私は、今の時代であると言うことは出来ない。
この構図が長い年月をかけて男尊女卑へと結びついたことは確かだ。
かなり長い間、女性ができることというのはことごとく限られていた。
教育にしろ参政権にしろ。
ようやく形ばかりにせよ、男女平等が謳われるようになってからどのくらいだろうか。
まだまだ100年足らずではないだろうか。
その間、かなり女性の地位というのは改善されてきたけれども、まだまだ平等であるとはとても言いがたい。
それは男性にとっても女性にとってもマイナスのことではないだろうか。
男なんだから、女なんだからこうしなさい、なんていう世間からの要求に、涙を呑んだことがあるのは女性ばかりではあるまい。
男らしさというのを定義されてしまったおかげで、いろいろと損な役を蒙っているという男性も多いことだろう。
それでよしとするか否かだ。
私はせめて、その平等な役割分担であるという意識にまでは戻したいと思う。
昔何かで、主婦がもし給料をもらえたとすれば、年収3000万円に相当する仕事をしているらしい。
外で仕事をするばかりがもてはやされるのはおかしいのだ。
お互い必要不可欠のことを一緒に生きていくためにしているわけだから、せめてもう少し夫婦の地位が平等になったらいいなと思う

電車通勤する女性

«
»