アニメを作る

小学校高学年のとき、テレビアニメはだんだんと見なくなっていた。
放課後家に帰る頃の時間には、子ども向けのアニメが放送されていたが、その中の一つで幼稚園から小学校低学年向けのギャグアニメがあった。

私はそのアニメが始まるとチャンネルを替えていた。
なぜかというと、面白さが分かるのは幼稚園生ぐらいだし、これを見ていることが恥ずかしいと思っていたからだ。

そのアニメが終わるころにまたチャンネルを戻すとエンドロールが流れている。
流れる制作者の名前を見ながら、この人たちはこのアニメを作っていることをどう思っているんだろう。
もっと他に仕事があるんじゃないか、とおせっかいにも心配していた。

今になって考えていると、アニメの現場に携わりたい人はたくさんいる。
その中でもゴールデン帯の少し前に放送するアニメに携われることは、きっと名誉なことだろう。

アニメの途中に流れるコマーシャルをスポンサーから取ってくるのも大きなビジネスだ。
そんなことは当時の私には分からなかったが、あんな風な感想を抱いた当時の自分が恥ずかしくなった。
どんな仕事であれ、一生懸命物作りをする人間はかっこいいのだ。

学校を休んだとき

私は、子供の頃風邪を引くとすぐ学校を休んだ。
風邪であろうが腹痛であろうが、すぐ休んだ。
大抵、悪寒がする、ような気がする、とか、お腹がいたい、みたいな気がする、といった程度だった。
それでもうまいこと休んだ。

休むときはいつも、居間のテレビの前に布団を引っ張って行って、布団をかぶってアニメのビデオを観ていた。
学校を休むときは母がいつも寛容で、テレビを観ながら日中過ごすことを許してくれた。
おそらく、半ば気のせいで休んでいることもお見通しだったに違いない。
それを思い出すと、母親というものの計り知れなさに思い至る。

けれども私は上手いことやって休めた満足感で、楽しくテレビを観ながら思う存分休息できた。
その時観ていたアニメは忘れない。

今考えると愚にもつかないようなくだらないものから、大人になってから観ても面白いようなの、とにかく懐かしいの、そんなものが色々あった。
すっかり大きくなった今、ノスタルジーに捕らわれることがある。

夕方とか、みんなが働いている中有給をもらってやすんでいるときとか、知らない街に社用で来て、そこにある住宅街に迷い込んだときなんかに。
すると途端に私は、学校を休んで家で寝ているときの自分の気分に還ってしまう。

そうするともう居ても立ってもいられなくなって、当時観ていたそのアニメなんかをインターネットの動画サイトで検索したりする。
意外と誰かがアップしている。
それを夜な夜な観てしまったりする。

そうしてまた身を切るようなノスタルジーに酷く苛まれるのが常である。
子供の頃の思い出というのは、誰にとっても同様であろうか。

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